ども宇佐美です。

私は蓮舫氏が嫌いです。どれくらい嫌いかというとテレビなどで蓮舫氏が映るとその瞬間にテレビを消すくらいには嫌いです。 もはや憎悪に近い感情を持っており、人生でこれほど他人にネガティブな感情をもったことはありませんでした。

なので今回の一連の二重国籍騒ぎで蓮舫氏の対応が右往左往して炎上した時は、正直心が晴れましたし、また、「二重国籍は法的に問題がない」との議論が沸き起こると、その批判を封じるために「二重国籍は法的に推奨されないまでも絶対的に否定されるものではないが、日本は移民の国である米国や国際的な文化的集合体であるEUに所属している国家と背景がことなる島国で、99%以上の国民は単一国籍であること考えると国民の代表たる政治家は国民の大多数と同じ立場に立つべきではないか」という趣旨の意見をブログに書きました。これは実際私の嘘偽りない考えで、我が国の国籍法の趣旨にもかなっている意見だと思います。

ただ恐らく蓮舫氏以外の議員の二重国籍が問題視されたとしても、わざわざ記事を割くほどの労力を割くことはなかったので、やはり私が記事を書く原動力となったのは、ひとえに「蓮舫氏が嫌いで失脚してほしい」というおどろおどろしいネガティブな感情でした。実際前述記事には一部煽りを含む誇張表現もありましたしね。(小田嶋隆氏の指摘を受け事後的に削除)



twitterでも頭ではよくないとわかりつつ、上記のような物議をかもす醜い発言をあえて連発してまして、普段私はわりと物事を受け流せる方なので、これほど自分が憎悪の感情に支配されるとは我がことながら驚きでありました。そんなわけで自分でも制御しかねるほどの怨念にとらわれていることを感じています。


そこで一度頭を冷やすために「なぜ私は蓮舫氏を憎悪しているのか」ということについて一度内省して考えてみました。以下私事ではありますが、私の官僚時代の経験を中心につらつら語らせていただきます。

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さて私が蓮舫氏を嫌うきっかけになったのはあの有名なスパコン事業仕分けにおける「二番じゃダメなんですか?」発言でした。それまで私にとっては蓮舫議員は「とにかく色々追求している人」という程度認識でしたが、この発言を機に私にとって許しがたい憎悪の対象となりました。

当時の私は経済産業省からNEDOという経産省管轄の研究開発ファンドに出向しており、半導体分野のプロジェクトのマネジメント・企画をする立場にありました。少し長くなりますが当時の私の仕事の話をしますと、私を最も悩ませていたのは通称”EUVプロジェクト"(Extreamely Ultra Viloletの略)と呼ばれる半導体微細加工装置の開発研究プロジェクトの扱いでした。細かいことは専門的になるので割愛しますが、経済産業省におけるEUVプロジェクトの位置付けは文科省におけるスパコンと同じようなもので以下のような特徴を持っていました。

 ①年間100億円規模の莫大な費用がかかるプロジェクトで日米欧が激しく競いあっていた
 ②かつては日本の民間企業が競争力を持っていた分野だが、2000年代に入り一気に競争力を失った
 ③リーマンショックでプロジェクトから撤退する企業が相次ぎ、大幅な体制の見直しが求められていた

もともとEUVプロジェクトを主導していたのはキャノン、ウシオ電機の2社で、この2社の社長は小泉政権時代に経済財政諮問会議の委員であったこともあり、官邸ー経産省ー日本電機業界肝いりのプロジェクトとして、EUVプロジェクトは2002年(平成14年)ごろに我が国電機業界の企業が顔を揃えて参加して始まりました。このプロジェクトには集計のしかたにもよりますが、h14~h21の間に400~800億円程度の膨大な予算がつぎ込まれており、ちょうど見直しの時期が来て私がその担当として就任したという形でした。


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で、このEUVプロジェクトの成果はどうだったのか、といいますと装置は未だ完成せず、肝心のキャノンは同事業分野での国際競争に敗れプロジェクトから事実上撤退し、ユーザーである半導体メーカーもリーマンショックで経営危機に陥り東芝以外全て撤退を申し出る、という無惨な状況でした。そしてそれにもかかわらず、国際競争の最終局面段階でまた新たに数百億円の費用が必要というタイミングで、このプロジェクトを継続するか/否かも含めて検討するのが私の立場でした。

当初私は「このプロジェクトはもう続ける必要がないのではないか?おとなしくアメリカ、ヨーロッパ諸国に日本は敗れたことを認めるべきではないか?」と考え、プロジェクト停止に向けてヒアリングを進め、例えば東芝に「もう日本で開発を続ける意味はないのではないか?アメリカからライセンスを受ければ良いのではないか?」という疑問をぶつけたところ、「それは非現実的である。自らが技術を持たず外国企業に教えてくれ、というだけでは、相手にされない。こちらも相手に対して提示する技術が必要だ。だからなんとか最先端の研究の場を国として維持してほしい」と要望されました。

また学会にヒアリングに行き「もはや日本の半導体産業は東芝しか最先端で戦えないのだから、無理して技術だけ残しても意味がないのではないか?」とプロジェクト撤退の可能性を話した際には、「あなたは自分が何をしようとしているか理解していない。ここで日本からEUVの芽を完全に摘むと、日本には"技術という可能性"すらなくなり将来にわたって2度と半導体分野で世界の最先端と戦えなくなる。部材企業や研究者は日本を離れてアメリカに研究拠点を移す。産業政策を担当するものとしてそれでいいのか?半導体は産業の米である。あなたは企業ではなく官僚という国全体を見る立場なのだから、厳しい状況なのはわかるが、ここはなんとか次世代に芽を渡す枠組みを作ってほしい。」と諭されました。

ただですら財政が厳しい中、成果が出ていない分野で数百億円規模のプロジェクトを要求することは決して財務省との関係で簡単ではなく、また国民の理解を得ることも非常に困難です。なので一担当としては「撤退してしまう」ということが一番楽ではあったのですが、他方で「将来にわたる国益を考えた時、果たしてそのような安易な判断をしていいものか?」と毎日頭を悩ませていました。


http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9283589/www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov13gijigaiyo/3-17.pdf

そのような苦悩の日々の中で、民主党への政権交代が起こり、そして事業仕分けが行われることになりました。仕分けが予算要求に与える影響は大きいと聞いていたので全般的に情報は追ってはいたのですが、そこで私が立場上最も注目したのがあの「次世代スパコン」の仕分けでした。前述のように規模はスパコンに比べれば小さいながら、私もスパコンの担当者と同じような立場にいたからです。

スパコンにおける仕分けの議論は当初は「NEC-日立が撤退したことのプロジェクトの影響」から始まりました。この議論は”ベクトル型ソフトへの影響”や”次世代スパコンというハードを使いこなすソフトの開発体制”などを中心にまっとうな指摘がなされており、その指摘に対する文科省の返答もある程度筋だったものとなっており、「あ〜科学技術部門では事業仕分けというのはこういう議論がなされていくのだな」と納得していました。

他方である大学の教授が、プロジェクトを「研究の場」である理研中心から「教育の場」である大学中心に我田引水するような強引な主張があり、議論が空回りし始めて「これをどう処理するのかな」と思っていたところに、泉政務官が議論を修正する意味も込めて「次世代スパコン開発でトップを取ることでどれほどの意義があるのか?」という質問をしました。私はEUVにおいて同種の葛藤を抱えていたこともあり、この質問に関してどのような議論が展開されるか「お、面白い」と注目しました。

なお次世代スパコン開発については、必要性を訴える科学技術界の強力なロビイングでスタートしたプロジェクトで必ずしも文科省主導で始めたプロジェクトではありません。そもそも文科省は地球シミュレーター開発後に「国プロの役割は終えた」と一度判断しスパコン開発に消極的な態度を取っていたのですが、2000年代にはいり我が国の電機メーカーが汎用機市場で競争力をうしなったことで、国内のスパコン開発の基盤が急速に失われていきました。そのことに危機感を抱いた科学技術界が「最先端科学の研究には高精度なスパコンが不可欠」と理研を中心に結集し、科学技術族のドンたる尾身幸次議員を巻き込んで、議員連盟まで作って文科省の尻を叩いて走らせ、まさに「政治主導」で2006年〜2010年の第3期科学技術基本計画において「国家基幹技術」として盛り込まれ始まることになったものです。

要は文科省は政治家が決めた「世界一を目指せ」という目標に対して、「どうすれば世界一を取れるのか」という方法論を考える立場であり、当日の仕分けでの議論もこの質問まではそこに収束したものでした。そこに「そもそものプロジェクトの意義」という論点を泉氏は持ち込んだわけですが、この時文科省側は「最先端の研究には最先端のシミュレーション装置が必要」ということを訴えます。

これ自体は極めてまっとうな回答でしたが、評価者はこれに納得せず受け流す形で「700億円」という予算規模に議論が映り「本当に700億円もお金をかける意味があるのか?」という問いが出されると、文科省側は「世界一をとって夢を与える」などという判然としない回答をします。私はこの時は「ここは科学技術基本計画の根本にも関わり政治判断が必要なところだし、撒き直して丁寧な議論が必要なところだな」と思ったわけですが、ここで切り込んで来たのが蓮舫氏でした。以下発言です。


○蓮舫参議院議員
思いはすごくよくわかるし、国民に夢を与えるものを、私たち全員が 否定しているものでは全然ありません。ただ、ちょっとわからないのは、今回あと 700 億 円を投じて、今回のスパコンができること。この段階で既に 100 億円を超える予算超過を して、今後 700 億円を投じて国民に夢を与えたい。それは本当にこの額が必要なのかどう かというところを、もうちょっと教えていただきたいんですけれども。 国家に必要な最先端IT技術の獲得が目標にあるんです、そして比較参考値で、今日いただいた中には、中国が1ペタを開発していて、アメリカが間もなくで、もう日本はアメリカの後にいるんだと。世界一になる理由は何があるんでしょうか。2位じゃだめなんで しょうか。 あるいはアメリカがつくった後に、そこになってある意味ソフトあるいはどこかで共同開発、つまり日本とアメリカが一緒にできるような、何かそういう夢の共有というのは、 できないんでしょうか。なぜ1位なんでしょうか。 


ここから議論は「一番じゃなくて、二番でも三番でも別にいいじゃないか」というように一気に傾き次世代スパコンの予算は、科学技術基本計画を置き去りにして「凍結」という結論になります。日本の科学技術政策の根本がたった数十分のやっつけ会議でぶち壊されたわけです。この時私は「嘘だろ。。。」と愕然としました。蓮舫氏が疑問に思ったことは、まさに当時「技術の素人」レベルであった私がEUVというプロジェクトで疑問を覚え、日々葛藤しながら答えを求めていた点でした。こんな素人の疑問レベルで政策を決めようとする事業仕分けの場に失望し、そして

「今は民間だけでは最先端研究を継続できない。でも国益を考えた時、最先端装置の開発を撤退してしまっていいものか?それは将来の可能性を摘むものではないか?」

といった根源的な疑問を考える努力をせず、ただ質問をして「はい、君たち答えに窮したから予算凍結ね。」と単純に政策を切り捨てる蓮舫氏に激しい怒りを覚え、そして絶望しました。「丁寧に考え尽くして政策をつくりあげる」という自分の仕事の意義を全否定されたような気持ちになったからです。。。というか間違いなく全否定されたからです。。。

その夜は本当に絶望的な気持ちで寝られず「どうせEUVプロジェクトもさくっと切られて消滅するんだろうな〜」という気持ちでベッドの中でため息をついていたのですが、次の日からあっという間に科学技術界が立ち上がり、それに良識ある国民が答えて声を上げる形でスパコンの予算が復活していく姿を見て、本当に救われた気持ちになりました。

そしてその日から私の中で「蓮舫」は「仮想敵」となりました。この蓮舫という仮想敵を倒すためにはどうすればよいか、それを2年ほどかけて考えて、少しづつ東芝を中心とした民間企業と相談しながらEUVプロジェクトを立て直していきました。その結果できあがったのが「EIDEC」というプロジェクトでして、その体制は以下のようなものです。


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様々な日本の半導体企業の業界互助会であったEUVプロジェクトの体制を改めて、敗れた露光装置分野を捨てて残った周辺技術(光源や材料や周辺装置)で「”世界一”を持つ日本企業」の集合体をつくり、そして日本以外からもintel、samusung、tsmcといった「”世界一”を持つ」アメリカ、韓国、台湾の企業を体制に組み込み、「世界一連合をつくる」ということを目指しました。大きな方針転換で経済産業省内部に対しても民間企業に対しても非常に調整が難航したのですが、なんとかまとめあげて日本の技術を維持する枠組みをつくり、EIDECは官民共同プロジェクトとして2011年スタートすることになりました。なおこのプロジェクトがスタートした日は、私が経済産業省の退職を決意した日でもあります。(実際やめたのはもう少し先でしたが)

http://www.eidec.co.jp/about/index_j.php

このeidecプロジェクトは2016年3月に終了し、2002年から長きにわたる一連のEUV国家プロジェクトが完全に終了することになりました。日本勢は露光装置では完全に敗れたものの、なんとか光源や材料や周辺装置といった周辺技術での競争力を保ち、そのことで世界と連携し東芝も微細化競争に辛うじてついて行っています。

振り返ってみると文科省のスパコンプロジェクトと違って経産省のEUVプロジェクトは総じて失敗に終わりました。そのような中で撤退戦というものを担当したのが私だったように思います。そして、私としては、誇れる成果とは言えないかもしれませんが、撤退戦においてできる限り最高の形を作ることを努力しました。その過程において最も苦しんだのは

「一番じゃなくてもいいじゃないか?もっと賢い税金の使い道あるんじゃないか?」

という自分の心の声で、それを体現化したのが私の中の蓮舫氏という存在だったのではないかと、今漸く理解しつつあります。なんだか長い上にまとまりのない記事になってしまいましたが、こう見ると私にとって「蓮舫氏への憎悪」というのはずっと仕事や行動の源泉になっていたのだと感じます。

あれだけ必死にプロジェクトを立ち上げたのも、その後「やりきった」と感じて独立を決意したのも、その出発点は「二番じゃダメなんですか」という蓮舫氏の発言にあったように思えます。

そう考えると蓮舫氏に感謝の念が湧いてきたのが今です。私の人生に大きな影響をあたえたことは間違いないですから。

ではでは変な自分語りになってしまいましたが今回はこの辺で。



。。。。。なお私は蓮舫氏が嫌いです。