ものすごい久しぶりのブログ更新。
今振り返れば8年前の2013年12月26日をきっかけに人生が変わったんだな〜という話。忘れたくないのでメモ代わりに書き残しておく。勢いで書くし、まとまりのない案外地味な話なので期待しすぎないよう。

2013年12月当時、私は経済産業省を辞めて一年ちょいで、ブログやメルマガで小銭を稼いだり、企業から調査の下請け仕事を受けたりして日々の食には困らなくはなっていたが、一向に人生の方向性が見えず、燻っていた。

当時そんな感じの燻り仲間として新田哲史さん(現SAKISHIRU編集長)とよく連んでいたのだけれど、ある日新田さんから「12月26日に(今は亡き)ニコファーレでちょっと噛んでるイベントやるから観にこない?」と誘われて、ちょうど暇なので行ってみることにした。イベントは確か鈴木寛さんと常見陽平さんが言論プロレスをやるという趣旨のものだった。

で、そのイベントが始まるのが深夜だったので「こりゃ時間が空くな〜」と思ってどうしようかとネットサーフィンしてたら、近く(コチラもまた今は亡きロアビル)で家入一真さんの誕生日会がやっているということで新田さんに「ちょっくら突入してみないか?」と相談してみた。ちょうど家入さんが「10000(?)RTされたら都知事選でる」みたいなことを言ってる時期で、新田さんも「面白そう」と乗り気だったので二人で行ってみることにした。

で、テンション上がって家入さんの誕生日に行ってみたものの、私も新田さんも知り合いが一人もいないわけでアウェー感がすごく、適当に二人で手持ち無沙汰でぶらついていたのだが、せっかくだから「家入さん本人に本当に都知事選出る気があるのか聞いてみよう」という展開になった(ような気がする)。ただ話はそれほど盛り上がらず、家入さんも酔っ払っていて話にならず、ニコファーレにすぐに向かった。まぁ、細かいとこは違うかもしれないが、兎にも角にもこの時勢いで話しかけたことがきっかけで新田さんは2014年の都知事選で家入陣営に参画することになったようだ。人生何があるかわからない。

それでもって私はというと、とあるつてから同じ都知事選で田母神陣営のお手伝いをすることになるのだが、まぁ色々あって陣営を追放されることになる。この辺の経緯は全面的に私に非があると思っているのだが、いずれにしろその後に田母神陣営で浮上した資金問題に巻き込まれずに済むことになったので、結果的には良かったのかななどと思っている。

で、都知事選の途中で追放されて行き場がなくなった私は、家入陣営に遊びに行き、そこで高木新平くんを見て「世の中この年齢で、こんなプロジェクトぶん回せるこんなすごい奴がいるんか」と衝撃を受けた。今をときめく選挙プランナーの松田馨さんなんかの知見を得たのもこの時である。それで都知事選が終わったあと、これまた今はなきインターネッ党の活動なんかを手伝ってみようと思っていたのだが色々力不足もあり中途半端に終わってしまった。(なお私は今でも自分がインターネッ党の党員だと思っている)

それでちょうどその頃件の高木新平くんが運営していたシェアハウスに空きが出たということで、入居させてもらうことした。このシェアハウスは本当に集まっているメンバーが面白くて、ほとんど不在だったが堀潤さんや、一時期大いに炎上したものの今は実業家として活躍しつつパラリンピック出場を目指してる青木大和くんや、まぁ他にもメディア界隈で活躍している人が結構いた。最近になってアベマプライムで再会することも多い。

そこでダイナミズムに溢れる下の年代の活躍を見ているうちに、なんとなく「事業っていうのはこうやって作っていくんだな〜」ということを見て学び、私は私で当時知り合った人たちと太陽光発電の会社を作り数年で、儲かったり、大損こいたり、不良債権処理したりとバタバタしたのだが、ちょっとそういうドタバタに嫌気がさしてまたフリーに戻った。

どうしようかとまたプラプラしていたら、今度はそれなりの現場経験と実績ができていたのでぼちぼち企業から「制度分析とアドバイスしてほしい」というようなコンサルの依頼が来るようになって、今に至るのだが、今になって振り返ってみると自分の人生の転機はあの2013年12月26日の夜だったような気がする。あの日から、なんというか、自分を取り巻く停滞した空気が払拭され、時間が動き始めた。人間関係も変わった。

もしあの日家でなんもしていなかったら、私は今でも水面下にいたかもしれないし、少なくとも今とはだいぶ違う人生を辿ることになったと思う。

特段何を伝えたいというわけでもないし、これをたまたま目に留めた読者にとってはおちがないしょうもない話に聞こえると思うのだが、私にとっては大切な話なので、忘れないようにこの場に書き残しておくことにした次第である。とにかく人生は何がきっかけでどう変わるかわらかない。

ではではこの辺で。