どうも宇佐美です。
梅雨入りしましたね&久しぶりの更新です。最近はパチンコものの更新が多くなっていましたが、 今回はちょっと話題を変えまして私の友人の小佐野匠(おさのしょう)というもののお話をしたいと思います。かなり長いのでご注意を。

彼は聞く人が聞けばピンと来るとおり「昭和最大の政商」と呼ばれた小佐野賢治氏の末裔※です。小佐野賢治という人がどういう人だったのか、ということについてはネットを検索すればたくさん出てきますが、現在も池袋や大宮あたりで走る路線バスやハワイのワイキキビーチのホテル群等を運営している国際興業という会社を創業した「ホテル王」とも呼ばれた大実業家で、ロッキード事件の黒幕の一人としても有名です

※賢治氏の4番目の弟の政邦氏の孫。なお賢治氏に子供はいない。


他方で事業家としての腕は一流であったことも間違いなく、帝国ホテル、富士屋ホテル、日本航空や大韓航空といった会社の歴史は小佐野賢治氏無しでは語れません。巨悪のイメージが強い賢治氏ですが、実際は温厚で礼儀正しい人物であったようです。

とまぁ前置きが長くなりましたが、小佐野匠自体はこんな感じの男です。

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(本人の了解を得て添付しています。)


画像でもわかる通り彼はワイン好きなのですが、どんなにおしゃれな店でも酒が回ると北朝鮮と憲法改正について暑苦しく語り出す癖があります。 また後日ご紹介しますが、昔メルマガやっている時に彼についてちょこっと触れたこともありますのでご参考まで。


 

さていきなり話がそれましたが、そんな小佐野匠が現在何をしているかと言いますと国際興業の会長である叔父小佐野隆正を相手に数百億円規模の損害賠償を求める裁判をしています。一言で言えば、いわゆる「御家騒動」というやつですね。

国際興業は
2004年ごろに経営危機に陥りサーベラスという外資ファンドの傘下に入ったのですが、そのタイミングで当時社長であった隆正の画策で彼の一族以外の小佐野家の面々は同社から追放されることになりました。後日独力で金融業界で伸し上がり、サーベラスの協力を得る形でなんとか国際興業グループに復帰した匠の調査で、小佐野家追放の過程で隆正の様々な不正・虚偽説明があったことが判明し、その因縁が今になって燃え上がって損害賠償請求額612億円超の規模の係争中という状況です。。。

スケールが違いますね。。。裁判所に支払った印紙代だけで
6700万円超、4事務所11名からなる大弁護団を率いての戦いだそうで、人生をかけている感があります。この御家騒動は匠ら4名が提訴した20145月以来かれこれ2年以上続いており、そろそろ佳境を迎えつつあります。。


なお匠は現在国際興業の関連会社に移り一応は出勤しているものの、こんな状況ですから、完全に干されているようです。まぁ、100%株式を保有するオーナー会長を訴えているわけですから、周りの人々からすれば「触らぬ神に祟りなし」になるのも仕方ないことでしょう。そんなわけで彼の立場上、外部は勿論、国際興業の中で声を上げることも難しく、なんとも苦しそうだったので国際興業をめぐり小佐野家でどんなことが起きていたのか、という話を応援の意味も含め書き残しておきたいと思います。なお情報ソースは地裁に行ってみてきた訴訟記録です。



1.4500万円で1200億円の利益を得た小佐野隆正

 

さて話は30年前に遡ります。1986年に国際興業の創業者である小佐野賢治氏が亡くなると、同社は彼の4番目の弟であった小佐野政邦氏が継ぐことになりました。冒頭に挙げた小佐野匠はその実の孫で、戸籍上は長男(養子)という立場でもあります。

賢治氏がほぼ
100%保有していた国際興業の株式は、賢治氏に子がいなかったことから、弟で後継者の政邦氏が40%強、その次世代の後継者と目されていた隆正氏が40%弱、未亡人の英子氏が20%弱分散して相続することになりました。

その後、政邦氏は
2001年に永眠されまして、前述の通り賢治氏に子供がおらず、政邦氏にも匠の母親にあたる一人娘の千砂氏しかいなかったこともあり、今度は国際興業は賢治氏の甥っ子で小佐野家第2世代唯一の男性であった隆正氏が継ぐこととなりました。 少し複雑になりましたが、小佐野家では現在この隆正一族と政邦一族が係争中というわけです。まとめると下図のような形ですね。

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当時の国際興業は、バブル崩壊の余波で財務状態が悪化しつつあり、3800億円を越える有利子負債を抱えていました。利息だけでも年間76億円の支払いに追われていたのですが、ただ一方でハワイのホテル群は巨額のキャッシュを生み出していて、昭和時代から保有する多くの優良資産もあったことから、依然としてキャッシュフロー上は問題とはなっていませんでした。しかし2004年に入ると、メインバンクであったUFJ銀行が、竹中平蔵金融大臣主導の金融庁検査を発端とした経営危機に陥り、その余波で国際興業は急激な債権回収をUFJ銀行から求められ、それによって生じる流動性不足から一気に経営危機に陥ります。

このピンチに良くも悪くも手を差し伸べたのが当時「ハゲタカ」などと揶揄されていた外資ファンド達で、2004年末に国際興業はサーベラスグループの傘下に入ることになります。もともと資産は豊富で優良事業を抱えていたわけですから、国際興業の再建自体はスムーズに行き、ほぼ資産の切り売りとローンの組み直しだけで2014年までに無事達成されました。


具体的には

 ・帝国ホテル株式(約
40%保有する実質オーナーで後に860億円超で売却)
 ・八重洲富士屋ホテルの土地・建物(後に
300億円超で売却)
 ・浜松町の遊休地(後に約
800億円で売却)
 ・高収益なハワイのホテル資産を担保とする約
19.5
億ドルのノンリコースローンの調達

と言った具合です。
結局、短期資金の流動性さえ手当てされれば、元々あった国際興業の資産で再建から買戻しまで実現できたというわけで、この点については社長の立場にあった隆正も別件の訴訟で「サーベラスは何も企業価値向上につながることをしなかった」と主張しています。


とにもかくにもこうして国際興業が再建を果たしたことにより、2014年に隆正が国際興業の資金1400億円を使って自己株買い的にサーベラス保有株式(55%)を買い戻すことで、サーベラスが撤退して小佐野家に経営権が戻ることになりました。この時、隆正を除く小佐野家が追放されていたため、成り行きで隆正が会社を独占する形になっているのが現状です。

国際興業はサーベラスの傘下に入る時に一度
100%減資をしてその後に再出資するというスキームをとったのですが、この時の隆正の出資は4500万円でした。その後サーベラスに1400億円流出後も尚国際興業の1000億円内外の株式価値があると見られており、また隆正は再建過程でサーベラス支配下の国際興業から2275000万円の配当金も受け取っています。

もともと彼の持分は
40%弱しかなかったことを考えると、隆正はサーベラスを利用して60%相当の株を持っていた自分以外の小佐野家の面々を追い出し、1200億円にも昇る莫大な個人的利益を独占したことになります。


2.隆正はどのような陰謀を企てたのか?

 

 このように国際興業の経営危機は、


「サーベラスが出資するタイミング(
2004年)で隆正が自分以外の小佐野家(政邦一族と小佐野賢治未亡人の英子氏)を追放し、サーベラス売却のタイミング(2014年)で国際興業を独占することになり、1200億円の巨額の利益を独り占めすることになった」

という隆正の独り勝ちの構図で終えることになりました。。。なんだかおかしな話ですよね。。。それで匠も自ら調べ始めたわけですが、
こんな変な話は当然裏があることがわかってきました。サーベラスが出資するタイミングで、隆正氏が他の親族に対して虚偽の情報を流し脅しを加えることで国際興業の株式を手放さざるを得ない状況へと追い込もうと画策していたことが当時の資料から判明してきたのです。これに気付いた隆正以外の小佐野家の面々が現在隆正を訴えている状況です。 
 

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まとめると上図の通りですね。前述の通り隆正は1200億円相当の利益を得たわけですから、親族としては元々の株の持ち分であるその60%相当の700億円程度は本来貰い受ける権利があったというわけです。

 

さてでは「隆正はどのように政邦一族を追放したのか?」という点について具体的に見ていきましょう。

隆正は
2004年夏頃から他の小佐野一族には秘しつつ国際興業の社長として小佐野一族の一任を取り付けていると勝手に称してサーベラスグループと交渉に当たっていたのですが、以下のような虚偽説明を行います。


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【説明①:小佐野一族の株式無償放棄】
サーベラスが支援の絶対条件として、国際興業の100%の株を持つ小佐野一族の株式の無償での放棄(100%無償減資)を求めている。さらにサーベラスは政邦一族の役員等からの追放を支援の条件としており、国際興業及びグループ会社の施設等への出入りも禁止される。
→(事実①)
再建合意書に
政邦一族らが減資に応じない場合でもサーベラスが新株予約権を行使し必要な65%相当の株式を確保してそのまま国際興業を支援する旨の内容が記載。

 

【説明②:1317億円にも上る政邦一族の保証債務】
政邦氏の遺族は、金融機関から国際興業の1317億円に上る債務の保証責任と経営責任を追及されている。ここで政邦一族が100%減資に応じないと保証責任の履行が求められ、全ての私財をなげうって路頭に迷うことになる
 【2004年11月19日以降に突然主張】

→(事実②)
政邦一族の債務保証の責任は全く問題にもなっておらず請求することがそもそも不可能なもので、むしろ現役の社長である隆正氏が90億円分の有効な個人保証を背負っていて、国際興業が破綻した場合は個人的にも破綻を迎えるという状況だった。 

 

【説明③:隆正の経営者としての特別扱い】
隆正側は一切の個人保証を入れていないし、また政邦氏が亡くなって後を継いでから日が浅いこともあり金融機関から特段経営責任も問われていない。むしろ引き続き経営に関与する立場として国際興業の株式の35%を再出資し、社長にも留任するよう求められている。

 →(事実③)
サーベラスとしては小佐野家の扱いは平等に考えており、むしろ
小佐野(隆正)が別途希望する場合を除き、小佐野ファミリーの処遇は現状を維持する」としており、小佐野家追放は隆正独りの陰謀であったことが判明。

 

【説明④:再建合意失敗の可能性による国際興業の破綻危機】
政邦遺族が無償減資に素直に応諾しないせいで、サーベラスとの合意書が締結できておらず、このままだと
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月にも国際興業は破綻し、政邦遺族は銀行からは勿論、隆正や英子氏といった他の株主らから損害賠償請求を受けることになる
【2004年11月18日時点】

 →(事実④)1113日にサーベラスと国際興業の間の最終的な再建合意書は締結済み。サーベラスは支援に非常に積極的だった。
 

【説明⑤:国際興業の債務超過】
国際興業の株式価値は2500
億円超の莫大な債務超過にあり無価値である
→(事実⑤)1530億円の債務減免を受けることが締結済みの再建合意書に記載。財務は健全化し経営危機は脱する見込みだった。 

 
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これらの主張はメールや書面ですべて残っているのですが、裁判中ということでコピーの許可が出ませんでしたので、確認したい方は是非東京地裁*に行ってみてください。

*平日16:00までに東京地裁にいって150円払って
(平成26()11542 損害賠償請求事件))の資料が見たいと言えば誰でも見られます。なお本件に関しては、双方の言い分がかなり出揃っているので今のタイミングは、金融機関や労働組合も含む関係者の方々にとって記録閲覧の良いタイミングだと思います。

これらの嘘を信じた政邦一族は全ての株式を手放し経営から追放され、関係施設への出入りを禁止されることまで約束させられます。一方で隆正氏は上手いこと立ち回り、結果としてサーベラス側が55%、隆正氏側(国際興業ホールディングス(KKHD)というペーパー法人が表にたつ)が国際興業の45%の株式(当初は35%、後にオプションを行使して更に10%)を手に入れることに成功します。

なおこの時政邦一族が無償で手放した株式は、この事件の起こる僅か半年前の
2004年春にほぼ全財産に相当する相続税41億円を支払って相続した貴重な株式であり、後に政邦一族は隆正氏の嘘を知ったときは唇をかみしめたでしょう。なお、政邦一族は、相続税の支払いの際、納税者手持ちの現預金のほぼ全てを納税に充てていました。要は、ほぼ全財産をはたいて守った国際興業の株式が、僅か半年後には隆正氏の策謀で全て奪われてしまったということですね。

 

 


3.隆正の強欲が呼び込んだ小佐野匠の復帰

 


隆正
(小佐野隆正氏:
http://www.kokusaikogyo.co.jp/about/message/より



このようにこれだけのウソ800を並べて親族を騙しきった隆正は、個人的にはある意味見事なもんだと思います。ただせっかく政邦一族に対して隠蔽することに成功したそのウソを、更なる金銭の獲得を狙って自ら起こした以下の別件のサーベラス関係者に対する訴訟(
(平成21年(ワ)第1482号 損害賠償請求(株主代表訴訟)事件))で明らかにしてしまいました。(しかも敗訴している)


 http://saibanmonitor.seesaa.net/category/22249384-1.html

この裁判では隆正は代表取締役の立場にありながらサーベラス側から国際興業に派遣された取締役3名になんと530億円もの損害賠償を求めています。。。なお隆正はサーベラス参画後も2009年にこの訴訟を提起するまでは年額2億円もの報酬が維持されていたようで、さすがに強欲すぎるのではないかと。。。

まぁともかくこの裁判は経営者が取締役に対して530億円の損害賠償を求めるというめちゃくちゃなものだったので隆正は当然敗訴したのですが、この過程で隆正は自らサーベラスとの交渉経緯の資料を明らかにしていきました。。


そしてこの資料が結果として当時国際興業外にいた匠を立ち上がらせて、隆正にとって命取りになっていきます。

匠自身は国際興業から追放されてから、慶應大学から早稲田の大学院(MBA)を経てM&A助言・仲介大手のレコフで7年半のM&Aアドバイザー経験を積んで、ヴァイスプレジデントにまでなるなど順調なキャリアを歩んでいました。その過程で豊富な金融知識を身につけていき、自らの身に過去に起こったことに疑念を持ち独自で調査を進めるようになっていたのですが、そこに格好の材料を与えたのが隆正が起こしたこの無謀な裁判でした


そして2013
8月に当時国際興業の株式の過半数を保有していたサーベラスがEXITに協力しようとしない隆正の扱いに困っていたことから思惑が一致し、国際興業に経営企画担当部長として当時社長の隆正が強烈に妨害するなか無理矢理入り込みました。

冒頭に述べた通り20142月のサーベラス退出後は左遷され、厳しい立場に置かれているわけですが、ただそういう状況になっても匠が隆正に反旗を翻すのは、こうした隆正氏の私利私欲を優先してタコが自分の足を食うような経営手法に我慢がならず、創業家たる小佐野家の男の責任として、まともな企業の姿を取り戻したいというところが大きかったようです


その辺はまた次回に詳細語ろうと思います。
 ではでは今回はこの辺で。