書評②


「兄のランドセル いのちの政治家山本孝史物語」(山本ゆき)


【評価】;名著、全ての政治関係者にオススメしたい

  ★★★★★

【読むきっかけ】:

・昨今の酷い議員立法と立憲民主党の体たらくを見て野党議員のあり方を考えてみたくなった


【感想】:

山本氏の生き様を見て、改めて野党政治家とはかくあるべきと感じた。

具体的には以下のような点。

・政治家になる前から社会的活動で一部コミュニティから確かな信頼を勝ち取っており、独自の情報源と人脈を持っている

・政局ではなく政策のスペシャリスト。官僚以上の専門性を持つ

・縦割りでたこ壷化しがち行政に、現場の視点から問題を提起して、必要ならば議員立法で横串を通す

(がん対策基本法、自殺対策基本法は山本ががんと闘病しながら命をかけて成立させた議員立法)


【寸評】:

読んでよかった。自分の人生の今後に深く影響を与えることになるかもしれない。

山本氏の誠実な生き様が伝わり、涙なしではよめない。

あとは他党ながら盟友となる自民党の尾辻秀久議員との友情が美しい。

ポイントを上げれば以下の通り

・1949年:疎開先の芦屋で生誕。大阪へ

・1955年:兄、亘彦(8歳)が自宅前でトラックに轢かれなくなる。

  タイトルは生涯大切にした兄のランドセルに因む。

・1970年:立命館大学在学中に、「交通遺児に進学の夢を」と全国で街頭募金に立つ。

  その過程であしなが育英会会長の玉井氏と出会う

・1971年:交通遺児を励ます会全国協議会の事務局長に就任

・1972年:交通遺児育英会に就職

・1978年:米国留学。家族社会学を専攻。

・1990年:交通遺児育英会事務局長就任

・1993年:日本新党から衆院選に立候補。当選

ー短い与党期間に遺族年金・児童扶養手当の18歳打ち切り問題に解決の目処をつける

ー中国残留邦人等帰国促進法の成立に尽力

ー薬害エイズ問題で厚労省の隠されたファイルの存在に気付き追求

・1996年:衆院選で新進党から当選

ー臓器移植法の成立に尽力。この法律の番人となることを決意。

ー介護保険創設にあたってスペシャリストの観点から徹底論戦

 施行後は各地で丁寧に説明

・2000年:衆院選にて落選(民主党)

ー落選中、育英会で自殺遺児の親の死に触れられない苦しさを知り、ライフワークとすることを決意

・2001年:参院選で当選(民主党)

ー国会で自殺問題を取り上げる

・2002年:厚労省が自殺防止対策有識者懇談会を立ち上げる

・2003年:自殺対策基本法の検討を始める

・2005年:自身のがん発覚

・2006年:国会の質問でがんを告白、自殺対策基本法とがん対策基本法の成立を訴える。

  その後政治の流れが変わり成立。

・2007年:参院選にて当選、死去(58歳)



【印象に残った言葉】:


<兄の死>

「夜に、亘彦は布団の上に乗せられて大人たちに運ばれて家に帰ってきた。『テレビが見たい』と言って息を引き取ったという。」

<初当選>

「清貧選挙で当選した孝史は、人々の願い事が書かれた短冊を持って国会に乗り込んだ」


<臓器移植法>

「子供や孫の臓器提供に同意した家族が後悔し、生涯苦しむことにならないか、法律の範囲の逸脱が起こらないか」、孝史は自分の命ある限りこの法律の番人を務めることを決意した


<議員のあり方>

「官僚の手から政治を取り戻すべきだが、道のりは遠い。なぜか。・・・最大の原因は、利益誘導型、権力志向型の議員は多いが、政策志向型の議員は少ないということだ。残念ながら、国会議員には専門家が少ない。そして勉強しない議員が多いのは正直驚いた」


<小泉総理の山本議員評価>

「普通質問する人は答弁する人よりもわかってないはずなんですが、今日の場合は、山本議員は答弁する方よりもよくわかっている方であります」


<自殺遺児>

「同じ遺児でも、自殺遺児たちは親の自殺について話すことができなかった」


<尾辻大臣に自殺対策の協力を要請した時の、尾辻大臣の言葉>

「一緒にやらせていただきた」


<がんの告知を受けて>

「孝史は自分がいつまで生きていたら〜補選が行われずに済むか調べた。それは~9月16日〜だった。「9月16日まで生きる」それが孝史の目標となった」

「先生、僕は死に場所を探してます。最後を看取っていただけますか。」


<体がつらくなって>

「一日一生、一日一善、一日一仕事」


<がん対策基本法、自殺対策基本法>

「今国会を逃すと『がん』と『自殺』の2つの法案の成立はいつになるかわからない。そのとき自分はもう国会にはいない」

「一人でもがむしゃらになるものがいれば政治は動く」

「私があえて自らがん患者だと申し上げましたのも、がん対策基本法の与党案と民主党案を一本化し、今国会で成立させることが日本の本格的ながん対策の第一歩となると確信するからです」

「自殺対策基本法は、民が声をあげ、政が協働した議員立法のお手本」


<がん対策基本法の基本計画>

「当事者のがん患者に喜ばれないような計画というものは〜私はやっぱりあってはならないというふうに思っております」


<死が迫って>

「大阪で死にたい」

「いわゆる末期がんと言われると、もう余命なくて、もうすぐ死ぬんだと、何もできないんだというふうに世間では思われがちですけれども、しかしそうじゃなくて、そこからが実はがん患者の光り輝くところでして、そういった人たちにこの基本計画ができてこんなにいい施策ができたんだとおもえるような、基本計画にしてほしい」

「僕は民主主義を守りたいと心から思っている。

お国のためにといって命を散らさねばならない状況を再び作り出してはなりません」

「生きたい、生きて仕事がしたい」


<学生の「国会議員になりたい」という質問に対して>

「国会議員とまではいかなくても地域でいろんな人たちと手を繋ぎながら、リーダーとなって活動してほしい。そうすれば、きっと世の中はかわっていく」


<別れ>

「病室には、兄・亘彦のランドセルを持ってきていた」

「私は亘彦のランドセルをそっと棺に入れ、孝史に別れを告げた」