昨年父が死んだ。

男の親子関係あるあるで、父とは必要なこと以外話さなかったので、私は父について十分に知らない。

今更だが父の人生についてもっと知りたいのだが、それも無理な話で、今父と話せないのが本当に寂しい。
偶に泣けてくる。ただ仮に人生やり直せても同じことにはなる気がする。
父親と息子の距離感とはそういうものなんだと思う。


こうなることを予期して父には「自分の人生について書き残しておいてくれ」と何度かお願いしたのだが、手記らしきものは残っていなかった。残念である。


私も今や人の父親ではあるので、いつか子供が読むであろうことを期待して、また、我が父の轍を踏まない様に自分の人生について今のうちに簡単に書き残しておこうと思う。



私が生まれたのは1981年であった。

元麻布のあたりで生まれたのだが、父の仕事(国連食糧計画)の関係で3歳〜4歳はローマで過ごした。

この辺りの記憶はほとんどないが、薄らといじめられた記憶はある。

そりゃイタリア語も話せないアジア人が来たらからかいの対象になるだろう。

悪質なものではなかったのだろうが、いまだにごくたまに夢に出る。


1985年年末ごろに日本に帰ってきた私は安藤記念幼稚園に入った。

私の記憶はこの頃から始まる。この幼稚園はドラマなんかにも使われており、大人になって「東京ラブストーリー」をみたら

「あ、俺この幼稚園通ってた」と驚いたことを思い出す。


キリスト教系の幼稚園で教会が隣接しており、この頃は礼拝なんかも通っていた。

「天にまします我らの父よ〜」と意味もわからず唱えていたことを思い出す。

自分はどちらかと言えば右翼なのだが、この頃の影響でキリスト教的な価値観が根底にある。

我らに罪を犯す者を 我らが赦すごとく 我らの罪をも 赦したまえ

というフレーズは妙に心に刻み込まれている。

どうも人に残酷になりきれないのはこの頃の刷り込みなのであろう。



当時宇佐美家は実家が茨城県大洗でホテル業を営んでおり、バブル経済を謳歌して潤っていた。

それもあり、我が家は広尾ガーデンヒルズという高級マンションに住んでいた。

人気だったが祖母が抽選で当てて入居できたらしい。

祖父は大洗パークホテルというホテルのオーナーでブイブイ言わせており、小さい頃は私も「いつか自分も跡を継ぐのかな」などと思っていたのだが残念ながらバブル経済の崩壊でそうはいかなかった。

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少し先の話になるが、バブル崩壊の過程で祖父が力を失っていくは傍目にも明らかで、多分10歳くらいの時に渋谷の東急で家族で食事をした際に、昔は大きく見えた祖父の背中が妙に小さく寂しく見えて「大丈夫?」と声かけたところ「孫に心配される様になっちゃいかんな」といようなことを言われたの思い出す。


話はそれたが、幼児期の忘れ難い思い出としていわゆる「お受験」こと小学校受験に関するものがある。

結論から言えば私は小学校受験に失敗して公立の小学校に行くのだが、その過程で一通り私立小学校を落ちたのちに国立の小学校(筑波大学附属小学校)を受けようとした。

ただ残念ながら抽選に外れて(国立小学校は受験に抽選が必要)試験を受けられなかった。


この時に車の中で母が

「あなたはやればできるんだから、、、」

と絶句して落胆していた。


私はこの体験がある種のトラウマで

「自分が勉強をできないばかりに母親を悲しませてしまった」

と受け止めて

「小学校になったらちゃんと勉強していい子になろう」

と決意してその後40年間この思いを胸に秘めていた。


40歳を超えた時に母にこのことを聞いたら

「あれは『抽選さえ通ればこの子はきっと試験が受かるのに』って思ってたのよ」

と返答された。


この返答に私は大変救われたのだが、言ってみれば幼い私の勘違いがその後40年弱私の人生に大きな影響を与えることになったわけで、人生とは数奇なものである。