前回の続きです。

https://usami-noriya.blog.jp/archives/55727032.html


小学校受験に全落ちした私は地元の公立小学校である青南小学校に入った。

私は渋谷区民だったので校区的には本当は笄(こうがい)小学校か本村小学校だったので、この入学はいわゆる「越境」だった。

当時から小学校の校区制は半ば形骸化しつつあり、越境での通学は結構いて、青南小学校は中学受験割合が高いので教育熱心な親に選ばれていた。

2002年に学校選択制が導入され、この傾向はさらに強まっているようである。


青南小学校は南青山のど真ん中というすごいところにある小学校ではあったが、みんな金持ちかというとそうではなく

団地住まいのサラリーマン、商店街の店の店長、医者、有力政治家。有名企業の経営者までそれなりのいろんな家の子がいた。

これは公立の小学校の本当のいいところで、私にとって大きな人生の財産になった。


あとはどうでもいいが、校歌がいい歌だった。

ネットに転がってなくて残念である。



小学校の1,2年生の時の担任はK先生だった。

この先生に算数の授業で褒められたことが私の人生の大きな支えになった。


ある日の授業で先生が折り紙で切り抜きをさせて正方形と長方形を説明していたときに、

ふと手元の切り抜きを見て疑問に思い

「この正方形と長方形は、周りの長さが一緒のはずなのに、なぜ大きさが違うんですか?」

と質問した。


この質問にK先生は

「いい質問だね。長いこと先生やってるけど一度もそんな質問されたことないよ」

と大いに感心して、

「今は答えられないけど、調べて答えるね」

と約束して、後日二次関数のグラフを書いて説明してくれた。


もちろん当時は意味はわからなかったのだが、この時の経験で小学校受験で失っていた私の自信は回復しさらに

「おれは算数のセンスがあるんだ」

という謎の自信を得た。


その後のことを考えると別に私は大して算数、数学のセンスがなかったのだが、このK先生が与えてくれた自身のおかげで

数学に苦手意識を持つことなく大学受験までかろうじて乗り切ることができた。

勘違いもまた重要である。


またこの時同級生になったO君とは、35年後に飲食店(新橋蓮月)の立ち上げで一緒に仕事をすることになる。

私が渋谷区の小学校に入っていたら、K先生が担任じゃなかったら、また違う人生を歩んでいたと思うと、人生は幼いころのほんの少しのことで大きく変わることを実感する。


K先生は「言って聞かない時は体罰も必要」というスタンスで、同級生の心を傷つけるようなことがするとみんなの前でお尻を叩くことがあった。

体罰に際しては痛みよりも「悪いことをしてみんなの前で恥をかいた」という精神的な効果を重視しており、それゆえ体罰は常に尻叩きであった。


K先生が怒る時は理由がある時で、幼いながらも皆先生の体罰に納得していたのだが、聞くところによると後々この体罰は保護者の訴えで問題となったらしい。


これも時代の変化なのだろうが、とはいえ小学校の低学年というのは半分野獣で、自分の子供の小学校の授業の様子を見るに「言って聞かせる」ということだけではかなり制御が困難なように思えてしまう。

それをなんとかしていたのが体罰なんだろうが、体罰をなくした以上、体罰に相当するくらいの生徒に罪、恥を実感させるシステムというものが実務上必要なように見えてしまうのは、私が古い人間だからなのかもしれない。


いずれにしろK先生は良い先生だった。

少なくとも、私にっとては、本当に良い先生だった。

K先生、ありがとうございました。